趣味と寄り道

常識に違和感を覚えるたびに開く本——「キノの旅」

「常識って、誰が決めたんだろう」と思うことが、ときどきある。

松代守弘さんの「キノの旅」は、そういう疑問を抱えながら読むのにちょうどいい本だと思っている。一つひとつの話が短くて読みやすい上に、読み終えるたびに何かを問いかけられるような感覚が残る。

初めて読んだのは、職場のルールに違和感を覚えていた時期だった。「これって本当に必要なのかな」という気持ちを抱えながら、でも声に出すことができなくて、モヤモヤしていた。そんなときに手に取ったのがこの本だった。

「キノの旅」ってどんな本?

旅人のキノと、話す二輪車のエルメスが、さまざまな「国」を旅する物語だ。それぞれの国には、その国だけのルールがある。外から来たキノには奇妙に見えるそのルールが、その国の人々には「当たり前」として受け入れられている。

キノは原則として、どの国にも三日しか滞在しない。深く関わりすぎず、でも表面的な観光だけでもなく、その国の文化や仕組みを目撃して、また旅に出る。そのスタンスが好きだった。

一つの国のエピソードが短編として完結しているので、どこから読んでも楽しめる。忙しくて時間がないときでも、一話だけ読むという使い方ができる。私は通勤中に少しずつ読んでいたけれど、一話ごとに「うーん」と考えながら電車を降りることが多かった。

常識に違和感を覚えるたびに開く理由

この本を繰り返し読む理由は、「常識は相対的なものだ」と思い出させてくれるからだ。

たとえば、ある国では当たり前のことが、別の国では考えられない行為だったりする。物語の中では、その両方が描かれる。どちらが正しいという答えは出ない。ただ、「こういうやり方もある」という事実が、静かに提示されるだけだ。

職場でルールに違和感を感じたとき、この本を思い出す。「今の私が感じているモヤモヤは、別の場所では当たり前かもしれない」と思えると、少し楽になる。自分の感覚がおかしいんじゃなくて、環境と自分が合っていないだけかもしれない、という視点を持てる。

それが「キノの旅」を繰り返し読む理由だと思っている。

キノのスタンスがうらやましかった

キノは、旅先の国でどんなルールに出会っても、基本的に干渉しない。その国のやり方を批判せず、かといって同調もせず、ただ見て、聞いて、三日で去る。

最初にこの設定を読んだとき、「それってどうなんだろう」と思った。おかしいことを見ても何もしないのは、消極的すぎないか、と。でも読み進めるうちに、「何も言わないことと、ちゃんと見ることは別だ」という感覚になってきた。

キノはちゃんと見ている。何が起きているかを、感情を持って受け取っている。ただ、すぐに行動するわけじゃない。そのスタンスが、やがてうらやましく思えてきた。私はすぐに白黒つけたがるところがあるけれど、「ただ見る」という力も大事なのかもしれない、と。

好きな話と、苦手な話がある

「キノの旅」はシリーズものなので、話によって好みが分かれると思う。私も全部が好きというわけではなくて、読んでいてざわざわする話もある。

特にざわざわするのは、「その国の人たちは幸せそうなのに、外から見ると何かがおかしい」というタイプの話だ。幸福と倫理が一致しないとき、人はどう判断するのか。そういうテーマの話は、読み終えた後もしばらく頭から離れない。

逆に好きなのは、キノとエルメスのやりとりがほっこりするエピソードだ。難しいことを考えた後に、二人のかけあいで和らぐ。そういうバランスがこのシリーズにはあって、重くなりすぎずに読み続けられる理由だと思う。

エルメスという存在が好きだ

キノと一緒に旅をする「エルメス」という二輪車は、話すことができる。このキャラクターが好きだった。

エルメスはキノに対してよく質問をする。「なぜそうするの?」「あれはどういうことだったの?」という率直な疑問を、ためらいなくぶつける。その問いがシンプルな分、キノの答えも(あるいは答えなさも)際立って見える。

読んでいる私も、エルメスと一緒に「なんでだろう」と考える形になる。物語の中に自然に引き込まれる仕掛けだと思う。難しい哲学の本を読むより、ずっと入りやすい形で「問い」に触れられる。

ミニマルな暮らしとつながっていた

ミニマルな暮らしを意識するようになってから、「本当に必要なものは何か」を考える機会が増えた。物だけじゃなく、習慣や人間関係、ルーティンについても。

「キノの旅」を読んでいると、同じ問いを別の角度から考えさせられる気がする。旅に必要なものだけを持ち、余計なものを持たないキノのスタイルは、ミニマリストとしての感覚と重なる部分がある。もちろん物語の中の設定ではあるけれど、「本当に必要なものと、そうでないものを見分ける力」という意味で、どこか通じている気がした。

物を減らしたことで、「これは自分が選んでいるのか、そう思い込んでいるだけなのか」を考えるようになった。「キノの旅」は、その問いをさらに広げてくれた。

何度も読める本だと思う理由

「キノの旅」はシリーズが長く続いているので、全部読もうとすると大変だ。でも、一冊だけ手元に置いて、必要なときに開く、という使い方が自分には合っている。

同じ話でも、読む時期によって感じ方が変わる。今の自分が気になっていることと、物語の中のテーマが重なったとき、新しい発見がある。だから「キノの旅」は、一度読み終えたからといって終わりじゃない。むしろ、何年かに一度手に取るべき本だと思っている。

常識に疑問を感じたとき、場の空気と自分の感覚がずれているとき、そういうときにこの本を開くと、「それは別におかしくない」と教えてもらえる気がする。そういう本が一冊あるのは、心強い。

こんな人に読んでほしい

「なんでこのルールがあるんだろう」と思ったことがある人に、すすめたい。

正解を教えてくれる本ではない。むしろ、正解がないということを、やさしく教えてくれる本だ。哲学が難しくて苦手な人でも、物語として読める形になっているから入りやすい。

一話が短いので、忙しくて読書の時間が取れない人にも向いている。通勤中や、寝る前の10分でも読める。それでいて、読み終えた後に何かが残る。そういう本は意外と少ない。

「常識に違和感を覚えるたびに開く本」と最初に書いたけれど、それは今も変わらない。モヤモヤしているとき、この本を開くと、少し楽になれる。

読書の楽しみ方を変えてくれた本

「キノの旅」を読むまで、私は本を「最初から最後まで一気に読み切るもの」だと思っていた。読み途中で止めると、なんとなく気持ちが悪い感覚があったから。でもこの本は、短編集という形式のおかげで、どこで止めても区切りがいい。一話読んで閉じる、また次の日に一話読む、という使い方が自然にできた。

そういう「ゆるい読み方」ができる本の存在を、この本で初めて知った気がする。読書って、もっと自由でいいんだと思えた。一冊を一週間かけて読んでもいいし、気が向いたときだけ開いてもいい。そういう読み方に向いている本と、一気読みに向いている本がある、ということも、「キノの旅」が教えてくれたことの一つだ。

本との付き合い方が変わってから、積ん読になる本が減った。「今日は一話だけでいい」と思えるようになったからだと思う。読書のハードルが下がったという意味でも、この本は私にとって大切な一冊だ。

旅という形式がもたらすもの

「旅人が各地を巡る」という物語の形式は、昔からある定番のスタイルだ。でも「キノの旅」はその形式を使いながら、単なる冒険ではなく、哲学的な問いを運ぶ乗り物として機能させている。キノが次の国に移動するたびに、新しいテーマが提示される。読者はキノとともに、次はどんな「当たり前」に出会うだろうと期待しながらページをめくる。

旅という設定には、「外からの視点」が自然に生まれる。その国に長く暮らしていれば「当たり前」になってしまうことが、外から来た旅人の目には不思議に見える。その「外からの視点」こそが、この物語の核にある気がした。私たちも、自分の日常に「外からの視点」を持てたら、今とは違う見え方ができるのかもしれない。

一人暮らしをしていると、自分のルールで全部決められる。掃除のタイミング、食事の内容、就寝の時間。そういう自由がある分、「なんとなく続けてきた習慣」を疑う機会も増えた。「キノの旅」を読むたびに、自分の習慣にも「なぜそうしているのか」を問い返したくなる。

シリーズを通じて変わらないこと

「キノの旅」はシリーズが長く続いているが、根底にあるテーマはずっと変わらない。「世界は美しくはない。だから美しい」というフレーズが、このシリーズのキーワードとして語られることが多い。完璧じゃないから、美しい。矛盾しているようで、読んでいると腑に落ちる言葉だと思う。

世界に嫌なことがあるとき、この言葉を思い出す。全部が良くなるわけじゃないし、常識の壁がなくなるわけでもない。でも、その中にも美しいものがある、と思える気持ちは持っていたい。「キノの旅」はそういう気持ちを、物語を通じて静かに渡してくれる本だと思っている。

この本と出会ってから、「違和感は無視しなくていい」と思えるようになった。違和感は、自分の感覚が何かに気づいているサインだと、「キノの旅」の登場人物たちを見ていると思う。キノが旅先で感じる奇妙さは、そのまま放置されることもあるし、何かの答えにつながることもある。どちらにしても、感じることをやめない。そのスタンスが、私は好きだ。職場でモヤモヤしたとき、日常の何かが引っかかったとき、この本を開いて「こういう感覚を持っていていいんだ」と思えるのが、この本を手元に置き続ける理由だと思っている。

キノの旅を読むたびに、自分の常識や前提を少し疑うようになる。それが心地いいのか、不安なのかはわからないけれど、読まずにはいられない。

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